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サッカー選手もまた人間だな [サッカー全般]

ワールドカップが絶賛開催中。日本は初戦コートジボワール戦を落とした。個人のパフォーマンスが良くないし、組織としても上手く試合を運べなかった。負けたのも喪失感も大きいけど、試合がつまらなかったのも残念だった。

さて、そのワールドカップのメンバーに、われらがサガントスの豊田陽平はギリギリの当落線上で選ばれなかった訳だけど、その彼の心情についてインタビュー記事が上がっていた。これがとてもいい記事だった。


豊田陽平は代表「落選」という事実をどう受け止めたのか
http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/jfootball/2014/06/02/post_632/index.php



前から水沼や豊田ににインタビューしている小宮さんというサッカーライターの方の記事だけど、生身の人間としての豊田陽平が垣間見れてとてもよい。

「でも、嫁に『W杯に連れて行けなくてすまん』と謝った途端、涙があふれ出してきそうで」  豊田は静かに告白している。

「関係者には謝ることができたけど、家族の夢を叶えてあげられなかったことを謝りたいんです。でも、それができていない。男として格好悪い姿を見せたくないというか。一度、嫁の名前を呼んで謝ろうと思ったんですが、瞬間的に話をすり替えました。

 GWの連戦はさすがにきつくて、体は重かったんです。でも、“家族のために走ろう、その運命を背負っているんだ”と自分に言い聞かせると、また一歩を踏み出せました。家族を思い出すことでプレイできていたんです。だから、どうしてもW杯に連れて行きたかった。




テレビやスタンドから観戦すると、目の前のプレーが生身の人間によって行われている事をしばしば忘れてしまう。ゴール前で全力ジャンプし人と接触すれば、骨はきしむし体は痛む。激しく心肺を動かし、時に心も体も消耗する。

サッカーをエンタメとして消費する事は否定しない。それがあるからプロサッカーは成り立つのだろうし、相手をののしったりやスターを崇める欲望も、プロサッカーを観戦するひとつの欲望だから。

ただ、彼らが人間である事を今一度認識すると、また違ったサッカーのドラマが見えてくると思う。

忘れがちだがよく考えて見ると、90分走り続けることのきつさ、それも全力でのジャンプやダッシュを入れながら。そんな事、アスリートだから当たり前だろうと思いがちだが、彼らもまた人間なのだ。

走れ走れという声援や野次。もう一歩踏み込んで考えてみると、その選手は走れなくなっている可能性がある(あえて走らない選手ももちろんいるけど現代サッカーでは少ないと思う)。時間が経てば選手は疲労するし、競り合えば磨り減る。そこは鍛え抜かれたアスリートであるけれど、いつまでも走り続けるゲームの中のプレイヤーとは違う。

身体の磨り減りだけでなく、戦うだけの理由を背負ってなにかにすがって生きる一人の人間というのが見えてくる。それは家族や大事や何かを支えにして日々仕事して生きている自分達となんら変りがない。


さまざまな要因が自分の仕事に影響するように、サッカーもさまざまな要因が作用する。サッカーゲームのような身体や技術だけのパラメーターだけで、目の前の試合は作られていない。さまざまな観点からサッカーを見ていくとよりサッカー観戦が面白くなるのではないだろうか。


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