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大分トリニータの躓き 2 [クラブ経営]

前回、J1に上がった地方クラブの一例として大分トリニータについて考えてみました。大分トリニータは財政破たんしましたが、これからのクラブの反面教師とする為、その原因について少し掘り下げて考えたいと思います。今回は、このクラブの起源が県庁主導のクラブであったことについてです。


・出自が大分県庁主導の官製のクラブであった事
結論を先にいいますと、官製クラブ自体が悪い訳ではないのです。官のみが半ば強引にクラブ作りを推し進めた為に、地元との協力関係を築くことができなかったのです。

大分トリニータのクラブの起源を紐解いていくとこんな感じです。

  1994 3月、平松守彦大分県知事(当時)が県議会でワールドカップ招致のために
      地元にサッカークラブを作る事を宣言
      4月8日大分FC発足。当初のチーム名は大分トリニティ。
       この年、県1部リーグより参加し、リーグ優勝し翌年九州リーグに昇格
  1995 九州リーグ優勝
  1996 1月地域リーグ決勝大会で準優勝し、JFL参入を決める。
      JFL初年度、13勝17敗の10位
  1997 この年、監督、選手を一新し、プロ化が進められる。JFL12位。


大分トリニータの起源は、2002年WCの招致活動を日本サッカー協会がはじめていたのに呼応して、その開催候補地として大分県が名乗りを挙げ、招致条件としてサッカークラブの存在が不可欠な為、知事主導で作られたチームなのです。
この時、知事を開催地招致活動への参入を焚き付けたのが、1990より自治省から赴任してきていた、後の社長、溝畑宏氏です。
クラブは、チーム発足から1年9ヶ月でJFL昇格という最短記録で参入を決定し、破竹の勢いで急成長していきます。

問題だったのは、県庁のみが突出していて、住民も、企業も、クラブ作りに賛成でなかった点。


チームがスタートするにあたって、他のJクラブがそうであったように、既存の企業クラブを母体として大分のクラブを作ろうとしましたが、既成の地元チームからはすべて断られています。地元の経済界も金がかかるのでこの構想に反対の態度を示します。


また、大分県サッカー協会とも最初から確執を持っています。通常新規加入チームは4部リーグからスタートさせるのが原則でしたが、上のカテゴリーを目指すクラブは、県1部リーグからの出発を主張し、結局受け入れられますが、そのことによりしこりを残した関係となります。


本を読む限り、本来重要な支持基盤になる地元との関係において、チーム作りのコンセンサスをすぐに得ることができないと判断した県庁、というより知事の同意を取り付けた溝畑氏は、力技でどんどん前に進んでいったようです。


この強いリーダーシップは、既存の価値観からは反発を喰らいます。大分のような地方ですと、特に顕著です。地元大分ではアンチ溝畑がやはり多いらしい。地元の経済界やサッカー界などに多くの敵を持った事が、後々のピンチにも多くの支援を得ることができなかった遠因になっています。大分に限らずですが、地方は公共事業が産業の大きな柱となっています。県が協賛金の要請を出せば、公共事業にぶら下がっている業者は断れませんし、こうした平松知事を担いで動き回る溝畑氏の動きを快く思わなかった事も想像できます。


スポンサー関係も地元とはよい関係が築けなかった為に、支援者が少なく、常に金集めには苦労します。この後も広く県外に大口スポンサーを探し回る事になります。


また、政治の影響を強く受けます。溝畑氏は平松知事を担いでクラブを発展させていきましたが、知事は2003年に退任し、現職広瀬知事となります。本によると、広瀬知事は、一言でいうとハコものを作りづぎた平松知事の否定と言える政権で、大分トリニータも平松知事の作ったものとして見られていたという事です。県庁の権力者とのパイプが薄くなることで、県庁からも後ろから撃たれる形となりました。


資金繰りが遂に行き詰った2009年11月、安定開催基金という基金の借入を申し込んだJリーグより地元大分に調査が入ります。当初は集金力のある溝畑氏を残して再建していく考えだったようですが、地元の反応がよくない。地元の支援強化を要請したところ、地元の官・財界の答えは「溝畑社長とはやれない」だったそうです。


このように、破たんの原因の一つは、官製クラブとして産声を上げ、地元の多くの支持支援を巻き込む事ができなかった事があります。溝畑宏の強力な推進力が幾度のピンチを乗り越えて成功したために、逆に最後の最後まで地元と広い協力関係が築けなかったとも言えます。


皮肉な事に、最初にこのチームに名づけられた「大分トリニティ」という名前は、自治体・民間・企業の三本柱を意味しており、その叶わない願いを思いにのせたのかもしれません。



参考文献
社長・溝畑宏の天国と地獄 ~大分トリニータの15年


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